不安を解消する パート1

森下 吉伸

こんにちは。森下です。

さて、今回は「不安を解消する パート1」についてお話しします。

貯金をするな!


「年金が足りない」と老後を心配する人が多いという。

そのせいか、あちこちで「その時がくるまでに、できるだけお金をためておけ」という声が聞こえてくる。

しかし、貯金ばかりされては買い物をしなくなるので、世の中の消費がおちてしまう。

不景気だと嘆いている日本では、消費が落ちることはいい事ではない。

だから「貯金をするな」といいたいのだが、それでは将来が不安になり、心配で夜が眠れないという人達がでてしまう。

昔の日本人は違っていた。

江戸っ子は「宵越しの金は持たない」といって、明日の金がなくても不安に思う人が少なかったようだ。

これはひとつのたとえだが、当時の日本人は貧乏だったので、もともとお金がないから将来を深刻に考えなかったということかもしれない。

今の日本人は裕福なので、逆に恐がり過ぎているのかもしれない。

確かに、人は、うまくいくことが当たり前になると、失敗する不安が広がるものだから。

「フリーズ」すると不安になる


年金以外にも、いまの日本は不安が絶たない。

そのほとんどが自分ではどうにもできないことばかり。

自分でどうにかできればいいのだが、できないから余計不安になってしまう。

たとえば、台風、地震などの災害。

少子化や高齢者社会への不安。

北朝鮮からのミサイルなど不安だらけ。

どれも自分ではどうにもできないものばかりである。

ある程度の心構えはできても、現実にはなにもできない。

対策しても限界がある。

逃げることも、立ち向かっていくことも、できないところがある。

不安の一番の原因は、どうにもできないことだ。

逃げることも、立ち向かうこともできない「フリーズ」した状態。

どちらかができれば、少しでもやりようがあって次なる可能性がつかめるかもしれないのに。

たとえば、中小企業の社長だとどうかというと、簡単には逃げられない責任があるので「フリーズ」していられない。

立ち止まると、会社を潰すかもしれないので、ほとんどは立ち向っているだろう。

しかし、この不況の中では、やっても、やっても、うまく儲からないと、さすがに「フリーズ」した状態になってしまう。

そして、不安が体を覆ってくる。前向きに行動する人でも、不安というのは避けられない一面がある。

不安の正体


不安と言うのは、脳の機能から発生する。

脳の大脳辺縁系で海馬に並んで有名な部分に扁桃体がある。

「逃げよう!」「立ち向かおう!」といった情動的なことはここで発生している。

つまり、扁桃体が感情の発生装置であり、ここが興奮することで不安を感じるようになるという。

不安を取り除くには、現実的に不安を抱かす問題点を解決・解消することだが、後を絶たないのであれば、そもそも不安を解消することを身につけた方がいい。

不安は言い換えれば慢性的なストレスでもある。

こういったものは、まず、理屈で解決するより、身体感覚からアプローチするところからはじめる事がいい。

たとえば、お酒を飲む人は、どれだけ深刻な悩みがあったとしても、飲んだら気分が落ち着くことがある。

リラックスしてくと、なにも問題は解決してなくても「まあ、どうにかなるか・・・」とそのまま寝込んでしまうこともありうる。

お酒でごまかすと思わないで、身体的に不安を薄める効果を取り入れることは悪くない。

落ち着きを取り戻し、悲観的な自分が前向きになるならいいのではないか。

不安は体感で取り除く


身体的に不安を薄める方法は他にもある。

触感というかスキンシップというか、実際に人に触れているか触れられているか、といったことで薄まることがある。

不安なときほど、人は人との触感が少なくなっていることがあるから、そこを補っていくのだ。

調子のいいときはハグや握手をしたり、頻繁に異性と手をつないだりするであろう。

積極的にやってみるのだ。

もし、家族がいるのなら、不安を感じるときほど、夫婦のスキンシップをふやすとか、子供と体をぶつけながら遊ぶとか、触感できることをしてみるのである。

人とのふれあいやぬくもりは、安堵の触感を与えてくれる。

また、周りに人がいないときは、一人でやることもできる。

私もよくやるが、落ち着かない時にやるルーティンがある。

まず、右手でゆっくり握り拳をつくる。

10秒ほどしたら、左手を同じ要領で拳を作る。

これも10秒ほどする。

そして、左右が同じ感覚になったら半分程度にゆっくり力を抜く。

その手を胸にあて、その後のどに当てる。

これだけである。

不安でいること、何かにおびえていること、ストレスを感じていることを、触覚で表現し、緊張を緩め、落ち着きを体感するのだ。

自分に声をかける


また、自分にとって、好ましい顔の表情を思い出すことにも効果がある。

落ち着いて腰をかけ、深呼吸を何度か行った後、楽しかった時、うれしい出来事、その時の喜んでいる自分や他人の表情を思い出すのだ。

好ましい顔の表情に包まれるのである。そして、両手で自分を抱き締めてもいい。

自分に声をかけ「よくやった」といってもいい。

自分をねぎらってやるのだ。脳は楽観的だから、そのことで活性化する。

ちなみに、鬱病というのは、前頭葉と扁桃対の回路接続が弱くなった症状をいうが、それは幸せを感じる能力が低くなったのでなく、感情そのものが固まっている状態をいうのだ。

ねぎらいによって楽観的になった脳は、その回路接続を活性化してくれるのである。

まさに「笑う門には福きたる」である。

福がきたから笑うのでなく、笑うから福がくるのである。

笑う、楽しいことを思い出す、ねぎらうから脳内回路が活性化する。

そして、自分の行動や考えが前向きになる。

「自分のやりたいこと、楽しいこと」をパッと気づけたり、過去のいやな思い出をポジティブな未来へ作り直すこともできる。

「いまは、つらいけど、むかしはもっとつらかった。このぐらいなんともない。なあに、なんとかなる」

と不安を薄め楽観させるのだ。

また、外にむかってただ声を出すだけでもいい。

行動するエネルギーには、食べ物や精神力が大切だが、酸素を取り入れることが重要である。

カラオケで歌うのもいい。

大声で声を出せば出すほど酸素を大量にとり入れるからである。

戦国時代に、かの織田信長が戦の前に、気持ちを落ち着け、意欲をあげる為に、毎回、能を唱い、舞った、と聞いた。

そうやって不安を取り除き、巨大な今川勢に何度も負けながらも、最後まで戦い続けることができたのであろう。

「できない脳」の効力


ここから不安と脳について考えてみる。

脳を「できる脳」と「できない脳」にわけて考えてみるのだ。

これは、「できない脳ほど自信過剰」と書いた東大の池谷先生の考えからきているが、この区別で不安を薄めることに貢献できると思う。

「できる脳」というのは、今の時代でいうと AIのようなもの。

とても優秀なので「できる脳」だけで未来を書くと、一般的な庶民なら気が滅入ってしまう。

逆に「できない脳」でやるからこそ勇気が湧く、といったところである。

優秀で何事も完璧にできる人は、不充分な人のことが理解できなくなる。

しかし、それでいいのかというと、そうではない。できないからこそできることもあるのだ。

どれだけ完璧でも、バカの気持ちもわからないと限界はあるのだ。

たとえば、ダビンチの絵を模写するとする。

AIだと完璧に模写できるだろう。

しかし、「ヘタクソに、自分なりに書け」といわれるとどうだろう。

たぶん「フリーズ」してしまう。

まず、「自分なり」「ヘタクソ」という定義がないし、「その時の気分」「パッとひらめいたもの」とかまで独創的なことは AI では作れないだろう。

そもそも、どれだけ完璧に模写しても本物には勝てないのだから、どうやっても AI は人間を超えることができないとなる。

こう考えて「自分は未熟でも、自分なりの可能性はある」と未来を明るく見て欲しいのだ。

また、未熟な人間だからこそ、これまで人間の文明が作り出せたことも事実である。

いきなり今の文明な訳ではない。

数々のトライ&エラーがあってこそ知り得た事で現在が成り立っている。

AIですら天才だけで作られたものではない。

よって、安易に「これから AI だ」という風潮に巻き込まれてはいけない。

池谷先生は「未熟さ」を「脳にとって学習が早くて記憶が正確な事はよいことでない」からいいことだと説明する。

学習が遅くて記憶があいまいなことが人間らしい部分であり、そのことで人間特有の能力が出ていると。

感覚的に観点を大切にすることで、データーで正確に読み取ることでは分かりえない、未来を作ることができるという意味だと思う。

学習が遅くて記憶があいまい


感覚的な観点というのは、SNS だとこうなる。

SNS で会話をする二人がいるとする。

やりとりを見ると、テレビの話や、家族の話、食べた食事や買い物風景の写真など楽しそう。

AI がそのやりとりをみて「とても仲のいい友人」と判断するだろう。

しかし、人が感覚的に見たとき、いつも一方が他方にくらべて「返事が遅い」とか「情報が一方的」とか、テキスト分析では分からない違和感を持つかも知れない。

そして「この二人の関係は表向きだけで、仲はよくない」と感じたとしたらどうだろう。

もし、当たっているとしたら、人間的な感覚は AI にできないメリットなのかもしれない。

歌手の武田鉄矢が、同じような AI とのエピソードを話していた。

彼に言わすと「スマホがどんな質問にも答えてくれるのがいいが、気が利いてない」という。

たとえば「近くのそば屋は?」と音声で聞くと、今いる場所の近くのそば屋を瞬時に見つけてくれる。

しかし、天気が気になるので「トデイ イズ ウエザー?」というと、服のウエアーばっかり話してきて、何度も言い直すとレザー?と反応して、「どんなレザーがいいのか?」と聞いてきたらしい。

「AI はバカか?」と苛立ち、「察しろよ」と文句をいったという。全く笑い話である。

「察する」は、できる脳だからできることではない。

東大を出ていても空気を読めない人もいるので、人は全員「察する」能力があるとはいえないが、特有のコミュニケーションによって多くの人ができるのも事実である。

流行した「忖度」もそうだし、昔から言われる「縁の下の力持ち」などもそう。

言語化しにくいが、度重なる失敗やさまざまなケースを経験したからこそ生まれてきた感覚である。

言葉やしぐさなどの複雑な組み合わせを繰り返し、耐えず他人と結びつこうと努力して培ったものは、いまの AI では対応はできな いだろう。


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