新型コロナが与えた変革 パート1

森下 吉伸

状況はよくならない

※2020年記事


新型コロナウイルスの感染がとまらない。

東アジアから世界へ感染を広げたのだが、それもあって日本は世界的に感染流行が早かった。

よって当初の予測では「4月になればかなり終息する」と考えられたのだが、感染数はジリジリと増加するばかり。

マスコミは累計感染数だけとらえて大きな数字で報道して煽っていたが、ここにきて冷静になった。

1日の感染者数を伝えるなど感染実状がちょっとは理解しやすくなった。

「視聴率だけを目指さない、なにを報道すべきか?」が分かってきたようだが、それが逆にこの騒動の危機感を感じる。

ただ、国内の感染状況を例年のインフルエンザの流行と比較すると、私としては、まだ大騒ぎする必要はないと考えている。

インフルエンザの国内基準は感染者が1週間「40万人が注意報レベル」「120万人が警戒レベル」だからである。

ただ、新型コロナの死亡率がインフルエンザの10倍程度なこと、新種であることを踏まえて危険度を100倍程度上げないとはいけない。

それでも「1週間に1万2000人」の感染者がでて警戒レベルの判断である。

現状で数百人なので感染が爆発しているとは言えないし、死亡数も例年のインフルエンザも比ではない。

(3月現在)冷静に感染状況をみて、適切な判断をするべきだ。

しかし、これだけ世界中が騒ぎ混乱が大きくなると、科学的に危険度が低いと判断しても誰も冷静さが持てない。

特にマスコミや政治家や学者など、日頃つんとしてお高いエリートはひときわ取り乱している。

逆境に弱いというか自分の責任追及がいやなのか。

治めるどころか自分達も煽り続けているのだ。

これがこの騒動で一番大きな問題であろう。

3月28日の安倍首相の記者会見で画期的なメッセージは感じられなかったが「感染拡大防止」「経済対策」「暮らしの影響」を歴代首相にはない自らの言葉だったのは事実である。

国のトップがトップらしい発言をするのは当たり前だが、今の日本だとこれも危険感の一つになってしまう。

とにかく、新型コロナへの対策は今後の状況をみるしかない。

こういった混乱の時代は正解がなにかは分からないので、様子を見ながら進めるほかないのである。

そこで参考までに世界的な状況をみてみたい。

絵文字の効果


コミュニケーションが制限されているからか、アメリカのある組織でメールなどのやりとりに絵文字を入れることで「よりアクティブなコミュニケーションができる」と メディアで紹介されていた。

たしかに絵文字は直感的でやりとりをするには分かりやすく、人間関係のストレスを薄める効果はあるだろう。

長々とした話や文章だと要点がわかりにくく意味が理解しにくい。

無駄な部分を絵文字にまとめてサッサとやるのは効率的だ。

しかも、絵文字を通じて感情や思考的な情報をも同時に伝える事ができる。

コミュニケーションがとりにくい時期ならいいだろう。

一方、日本語には文字がある。

アルファベットにない絵文字的な働きは文字が既にしている。

改めて文字の力を再認識してもいい。

「へん」や「つくり」などには意味 があり、その組み合わせで文字ができあがっているので、一文字でも伝える情報量はそれなりにある。

ただ、文字の意味は学者によって解釈が違うので万民が同じ理解とは言えないかもしれないが、だいたいは一緒なので一定の情報の共有はできているはずだ。

日本語自体が、単語としての意味だけでなく、文字から感じる意味もあいまって臨場感ある理解ができるので、その観点で見直すのも面白いかもしれない。

絵文字の活用では、使い方によってはさらにユニークで感情的な情報のやりとりができるだろう。

写真などの映像をみてピンとくるような直感的なもので、これは文字とは別の伝達能力がある。

そこも評価できる。

しかし、あくまでテキストのやりとりなのでデーターとして残ってしまう。

それも文章でやりとりする目的のひとつだから必要なことなのだが、正式なやりとりの記録や保存としては適さないだろう。

その時の直感的なやりとりだし、個性的な感性なので他人にニュアンスが伝えにくいのである。

後から見直した時に、本人以外の人には正確に理解できない可能性が高い。

コミュニケーションは短く


多少の問題はあれ、絵文字コミュニケーションはひとつの手ではある。

それに世界的には、そもそもコミュニケーションを短く済まそうとする傾向がある。

たとえば、無意味な会議やミーティングを長時間行うことで本来やるべき仕事の時間が制限されてしまうなら、もっと効率のいいコミュニケーション法を採用したいとよく聞く。

組題になることも多くなり、直接対面して長々とやりとりするのを嫌うようになったともいわれている。

パソコンに向かってキーをたたくコミュニケーションが好まれているのである。

日本ではチラシやホームページなどの広告物が、ビジュアル的なものを多用し、写真や動画の活用が一般的になった。

これも絵文字のように「長々と説明をするよりパッと見て理解してもらった方がいい」という所だろう。

これは顧客とのコミュニケーションも長文を読ませるより、効果が高いと踏んだからであろう。

これからの広告作成には、絵文字のように瞬間的な映像によって伝えたいことが集約できるスキルが求められているのであろう。

短いコミュニケーションは単に人間関係をラクにするだけでなく、次世代が求めているものを気づかせてくれるのである。

また、こうした流れは既に一部の企業の上司部下の関係に現れている。

これまでの強い企業の上司は、あれこれうるさくいって部下に無理矢理仕事をさせてきた。

まさにトップダウン的である。

しかし、そのやり方では通用しなくなっている。

パワハラといわれ「上司失格」と烙印を押されるだけでなく、人材不足の世の中で退職者を増やしてしまうからである。

多くの企業はボトムアップで、楽しく、自由で、やりやすい社内づくりを考える。

企業を絵文字化しているのである。

うるさくくどいコミュニケーションはなく、Tシャツ姿でニコニコ笑って「いいよ」「グッド」といって仕事をさせるのである。

くどいのはダメなのか?


「上司は長い話はダメ。短い話でも更に短く」という常識になっていく。

絵文字化である。

ただ、そもそも話がくどくなる理由のひとつに上司の責任感の強さがある。

中には部下に責任転換する悪徳上司もいるが、多くは自分の責任を果たす為である。

責任感のある上司には「どうにかしないといけない」という感覚がある。

「窮地に追い込まれたくない」と自己防衛はあっても責任感には変わりない。

この考えは企業としてはありがたいので否定しにくいのも事実である。

責任感のあるものがいてこそ達成度があがるだろうから、絵文字化にはそうした力に頼らない組織づくりが必要となるのだ。

では、絵文字のような上司とはどういう人か。

「部下に強制はしない」「部下の責任を追求しない」「任せてくれる」「つべこべ言わない」といったスマートさがあるのではないか。

上司自身が困難なことがあっても「どうにかなるさ」と考え込まない力の抜けたイメージ。

くどくなくあっさりしているので部下は負担無く仕事ができるかもしれない。

これが絵文字効果であり、これからの企業が進むべき常識だといわれる可能性は高い。

だからといって全てを絵文字化にして、くどいコミュニケーションはなくさなければならないとは言い切れない。

時代がどう変わろうが、時間をかけて丹念に対応することは必要なはずである。

短くして合理的にしても、それだけではやれないのが人間である。

かならず無駄がいる。 非合理的だといわれることがあってバランス感覚がとれるのではないか。


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