親切依存症 パート2

森下 吉伸

こんにちは。森下です。

さて、今回は「親切依存症 パート2」についてお話しします。

世話を焼き過ぎる人


「他人の期待」に答えるのは限界があると分かっていただいただろう。

その反面として問題があるのに「世話を焼き過ぎる人」がある。

他人の為に、自分を犠牲にしてまでもあれこれと世話を焼く人。

我が子のことになると異常なほど手をかける親などもその部類に入る。

今度は、自分が他人に期待をかける側になるのだ。

ある学者は「世話を焼き過ぎる人は、アルコール依存症と同じだ」といった。

やり続けることで正当化する中毒だというのだ。

世話を焼かれる方も、最初はありがたいであろう。

しかし、そのうちうっとうしくなってくる。

やがて自分の為の行動でなく、世話を焼いている方のために行動していると分かってしまうからである。

他人に世話を焼くことで、なにか自分に不足しているものを埋めようとしている。

他人を使って自分のマイナスを補おうとしていることに違和感を感じだすのである。

心理学者にいわすと「他人へ世話を焼きすぎる」という行為そのものは、「自分は無価値だ」という思いへの対抗手段だという。

だれかにかかわり、相手からかかわってもらうことで、低い自己承認をごまかそうとしている。

これは失敗や絶望した人が、その苦しみから抜け出そうと一時的に麻痺させようと酒にはしるのと同じだというのだ。

自分の物足りなさを忘れようと、懸命に他人に世話を焼くことは、アルコール中毒が酒を補給し続けるのと同じだというのだ。

こうした気持ちによって、そのうち限界が訪れ、世話を焼かれることに嫌気がさしてくる。

こちらが求めていないことまで、気を回されるようになり、もうやめて欲しいという気持ちも強まるだろう。

スポーツ選手が、他人の期待にどこかで限界を感じて、そこから逃げだしてしまうように、世話を焼かれた人も限界を感じて逃げていくのである。

 経営者にもある


こうした他人の眼を気にする行為は、会社経営者にも多くある。

架空決算や無理な過大広告など、本来の自分より大きく見せる事で、見栄や優越感を維持しようとする人がそうだ。

彼らのパターンは、目標となる会社や経営者を決め、周りから同様に見てもらう為に無理して大きくやり続けるのである。

一時はうまくいくことはあっても、自分の満足感は低い。

本来の理想の自分をしらないままにやらされている感が生まれ、どこかで限界がやってくる。

つまり、他人からの評価を得ることも、単なる他人の眼を気にしている事である。

自分が成功したとしても、他人の期待に答えたことに過ぎない。

自分の本意であればいいが、そうでないと必ず自分自身に嫌気がさし、限界がくるのである。

昔の逸人が「他人と同じになろうとすると、自分の3/4を失ってしまう」という言葉通りである。

どんなにすばらしい人と同じになったとしても、他人を目指した時点で自分自身ではなくなってしまうのである。

世話を焼きすぎる人は「親切依存症」である。

無責任に自分に期待をかけてくる、自分のことを評価したがる大衆と同じである。

「あなたのような社長はすばらしい」「あなたの会社はもっと伸びる」と他人は勝手な評価をしてくる。

そういった期待はかけることもかけられることもよくない。

自分の本意を見つけて、自由に束縛されない人生を歩んで欲しい。

森下吉伸


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