親切依存症 パート1

森下 吉伸

こんにちは。森下です。

さて、今回は「親切依存症 パート1」についてお話しします。

他人の眼


 これまで他人の眼を気にせず生きていく大切さを何度かいってきた。

人はだれでも自分がやりたいことをやり、だれにも束縛されず自由に生きていきたいと思っている。

それを阻止するのが他人の眼を気にする行為だからである。

しかし、反面、他人の眼が成功の後押しをしてくれるときがある。

人から絶賛されることで勢いがついて、結果がだせることがあるからである。

例えば、スポーツ選手がオリンピックでメダルを獲得したとしよう。

メダルは本人の努力の賜だが、他人からの影響や応援があってこそだという人が多い。

オリンピックメダルはかねてからの親の夢であり、親の夢を叶えようという気持ちがあってこそメダル獲得につながった。

また、日本や地元の為とか、家族や応援者の為に頑張れたという声が多いのは事実である。

実際に私自身も、以前マラソンをしていたときに、沿道からの声援に助けられたところがある。

沿道の応援にこたえなければと、へたりそうな時でも頑張って走り抜いたのである。

しかし、どこか自分の本意とは違っていると疑問を感じていた。

なにかやらされているという気がしたのである。

自分の意とは反対に「やらされていた」というプレッシャーがあった。

 期待には限界がくる


 「他人の期待に答える」「他人の為になにかをする」というのは素晴らしい事ではある。

それがあるから成果もだせる。

親、子供、家族、会社、地元などからも褒められる事でもある。

しかし、多くの人がどこかで限界を感じているのも事実であろう。

マラソンでの私のように、最初はモチベーションになるが、そのうちに疑問が生まれる。

だれにも限界がくるのである。

声援が自分のためであった。

それによって成果が出せた。

という事ではなく応援する人の期待に答えることで成果を要求された。

自分の為というよりは他人の眼を気にしてやらされたことでもあったと気づくからである。

そう考えはじめると、そういうプレッシャーに答えるのは限界だと感じ始める。

どれだけ声援をされても自分の意に反することはできないと。

たとえ、家族や仲間からの期待であっても、他人の期待に答え続けるのは無理である。

どこかで気づくのである。

「自分の為に生きよう」と。


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