ストレス対処と健康 パート1

森下 吉伸

こんにちは。森下です。

さて、今回は「ストレス対処と健康 パート1」についてお話しします。

社長も社員もストレスがある


「経営者は忍耐と孤独である」という社長は多いという。

つまり、社長は耐えずストレスがあるというわけだ。

不調な会社であればコストダウンや資金繰りなど頭を痛めているし、順調に業績が上がっている会社であっても、税金対策や投資、採用や部下育成など悩みは尽きることはない。

社長は自由な立場ではあるが責任が重く、どこかで拘束されているので、絶えずストレスを感じることになる。

一方、社員は社員でストレスがある。

管理職は上と下にはさまれて息苦しいし、中堅社員はノルマに追われている。

新人であっても「入社したら期待した会社と違っていた」と悩み、多くの会社で2〜3年もすれば新人がいなくなってしまう。

どんな立場であってもストレスは生まれ、まじめで正直な人ほどその度合いが大きくなっていく。

ストレスはだれにでもあるものだ。

ストレス解消法


ストレスについては、これまで多くの本やメディアで取り上げられている。

ストレス解消法はわりと一般的に知られている。

それでも現状をみると有効に使っている人はそういないように見える。

大声を出して笑ったり、映画を見て泣いてみたり、思いっきりスポーツをしてみたり。

やるにはやってみても解消できない。

もっと根が深いようである。

今回はストレス解消について思考的に考えてみる。

アメリカの精神医学会で提唱される考え方を基に、私なりに再度ストレス対処について考えてみた。

ポイントしては、①まず、ストレスに耐える力をつける。

そして、②ストレスの原因となる問題を解消させていきたい。

では、もとあった正常な状態に回復させるためにどうすればいいのか?

というのを解決していこう。

レジリエンス


アメリカの精神医学会でレジリエンスを築く方法として提唱している事がある。

レジリエンスとは「外力での歪みを跳ね返す力」ということ。

耐久、抵抗、復元といったニュアンスである。

生態学では「回復不能な状態を回避する」といった言い方もされる。

会の中ではレジリエンスを築く方法として次の観点が取り上げられている。

(原文からは私なりに租借している)

ストレスの対処法をいろんな角度で見つめ直してほしい。

 ①人間関係の構築を行う


(良好な関係をつくり、話に耳を傾けてくれる援助)

どんなストレスであっても、ほとんど登場人物がいる。

つまり、人間関係によってストレスが生まれているのだ。

ということは、人間関係の構築によって解消もできるということだ。

たとえば、会社経営でストレスがある社長でも、共に戦ってくれる部下がいるとか、癒してくれる妻がいれば耐えられるものである。

声をかけあってわかり合える事でストレスも薄まるのである。

ストレス解消は、良好な人間関係作りを行うべきだ。

だからといって、社員、家族、取引先やお客様など全員との関係作りは無理である。

まず、身近な人との関係作りから始めたい。

社長で言うと、会社の№2や身近な管理者が身近な人ではないか。

彼らに会社の状況や社長の考えを常に発信し、まず、現状を理解してもらうことが先決である。

そして、この先どうするかの対策をたてて、彼らが、先が見えるようにしておかなければならない。

ただ、人は変わるものである。

部下も長い時間で変化してしまう。

成長もしてくれるが、権力を持つようにもなる。

どんどん保守的になり「なあなあ」になってしまう。

中には私欲を肥やそうとする者もでてくる。

スポーツ界で理事会など中央の腐敗が報道されるが、それに似ている。

彼らも昔はやり手だったが、立場と年月によって腐ってしまったのである。

自分の思い通りにだけ事を運ぼうとして保身の為に生きてしまうのだ。

これは社長の責任でもある。

社長はいつもイノベーターでなければいけない。

社長は保守的になってはいけないのだ。

社長の側近も同じである。

社長と同じイノベーターにならなければならない。

次の世代にバトンタッチというタイミングは、社長も側近もイノベーターでなくなったときだ。

社長としては、次なるイノベーターを見つけ関係作りに勤しまなければならない。

この行為も、ストレス解消につながる人間関係の構築でもある。

危機は乗り越えられる


(出来事の解釈、反応は変える)

ドラマの「仁」で、「神は乗り越えられる試練しか与えない」というフレーズがあった。

空回りしているときや、いくら頑張ってもうまくいかないときには「もうだめだ」とあきらめてしまいそうになる時がある。

できない時に、あわてずに「だめなものはしょうがない」と落ち着いて次へ移ることも大切だが、やり遂げる事はもっと大切である。

そして、心が晴れるのに1番の特効薬である。

しかし、やり遂げることは簡単な事ではない。

会社生命に係わることや、危険承知でやらなければならないことは、かなりのストレスになる。

しかし、どういう結論であってもいいと思えると、この危機を乗り越えることはできるのではないか。

一文無しになって放浪したとしても、次の人生は見つけることはできるだろう。

かえって、人の目を気にしていた人生からお別れできて気が楽かも知れないのだ。

どういう結論でもいいと思えない人は、「バカにされたくない」「すごい奴だと思われたい」といったことが捨てきれない人だろう。

たしかに、その意志はモチベーションにはなっているだろうが、反面、大きなストレスにもなっていることを忘れてはいけない。

立川談志が「人生なんて、食って、寝て、やって、終わり」といったが、極論ではこういうことだと悟った方がいい。

自分を「成功者だ」とか「すごい奴だ」と思った時点で、他人からのストレスに従って生きる人生になってしまうのだ。

「すべての危険は乗り越えられる」と思うことは、自分を信じて、自分だけを信じて生きていくということである。

自分の自信につながり、他人からの評価は気にならなくなる。

やることを決めれば、あとは粛々とやり続ける力強さが備わるのである。

何も考えないで、決めたことをやり続けること自体が、全ての危険は乗り越えられるという行動になるのである。

 変えられないことを受容する


(変えられない状況を直視し、変えられる事に注意を)

だれでも生まれながら親に教えてもらったことがある。

親のいない人でも、親がいないことで学んだことはあるだろう。

そして、その教えは一生自分にまとわりつくのである。

そのことが苦しくて、長年ストレスを背負う人もいる。

子供にとって親はそのぐらい大きな存在である。

いくら自分からストレスが離れないといっても、それを悔やんでもしょうがない。

それこそが自分自身であるからだ。

だからこそ、そうでしか生きていけない自分を認め、そして、新たなる道に進んでいくべきである。

変えられる事と変えられないことがある。

変えられないことを受容するのである。

そこに問題意識を持ち続けると、改善はなされないのでストレスがたまり続けるだけになってしまう。

変えられない自分、「未熟で、恥ずかしい」ことを、あきれかえるほど分かったときに、人は大きな荷物を下ろすことになる。

そして、素直に自分の改善に取り組めるのである。

できない自分を受け入れるからこそ、できない他人に対して寛容になる。

待つ事もできる。

また、何度も教えることもできるのだ。

自分自身がスッキリするだけでなく、これまででなかった成果を出す事もできるのである。


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