人生の豊かさについて パート2

森下 吉伸

こんにちは。森下です。

さて、今回は「人生の豊かさについて パート2」についてお話しします。

あらためてコミュニケーションのこと


上司や部下の間で、なにかしら不完全燃焼というか、意味不明というか、しっくりこないことってないだろうか?

いくら説明しても相手が分かってくれないといったことなどないか?

「どう説明したらいいか、どう接したらいいか、わからない」と悩む社長は後を絶たない。

ある調査会社のデーターでは、国民の58%はコミュニケーションが苦手とあった。

周りをみるとたしかにそうだ。

言いたいことが言えずに、聞きたい事を聞くこともなく過ごしている人は多い。

自分で押し殺したような鬱積した気持ちを持ち、とても、スムーズに仕事が進んでいるとは言えない。

共通言語が使われていない


コミュニケーションには共通言語を使うことは原則である。

よく、顧客に対して「専門家しか分からない用語をつかうな!」という声を聞くが、それとおなじである。

身近な仲間同士で使う言葉、SNSやLINEで使う言葉などで他にも話してしまう。

若者の言葉が年寄りには分からないといったことが、小さな社会でも起きてしまう。

お互いの理解度を上げるように、翻訳することが大切だが、それも簡単ではない。

他の単語に置き換えられるならいいが、相応しい他の単語がない。

単なる言葉の意味だけでなく、その背景や、隠れた意味など、身近な仲間同士でだけ分かる臨場感が言葉に含まれていることがあるからだ。

ニュアンスが伝わらないと結局は分かり合えないことになる。

大丈夫です


気になる言葉で「大丈夫です」というのがある。

例えば、社内で飲み会があったとき、飲み放題に生ビールを入れるなら1人あたり400円アップになりますが、○○さん、大丈夫ですか?とあった。

ちょっと息をのんだ。

これは、昭和の時代だと、あなた400円はらえますか?と見下した言い方になるからだ。

おそらく本人は、決められた会費以外に徴収することに遠慮して「ご納得いただけますか?」と丁寧にいっただけだろう。

しかし、社内という臨場感があるから伝わる可能性は高いが、「あなた400円が払えますか?」という風に聞こえる人がいても不思議ではないのだ。

ひと昔前までは「大丈夫です」はサンキューだった。

しかし、いまの若者が使っているのはノーサンキューの意味が多い。

いや、もっと曖昧な言葉として存在している。

単なる相槌のように聞いたという意思表示にしかなっていない。

会話と会話の間にあるスペースのようなものだ。

こうあいまいな言葉が相手に正確に伝わるわけはない。

なにをもって丁寧か


政治家や悪い事をした経営者などが「説明責任しろ!」とヘンな言いがかりをつけられてしぶしぶ説明しているのをみる。

「丁寧な説明をする」といい、話し出す人は多い。

自分なりの誠意を見せようとしているのだろう。

しかし、人によってそう聞こえない人が多い。

きちんとした資料に基づいて話しているのだが。

まず、早口の人は丁寧さが感じられない。

私も早口で次々話したいタイプだからよくないが、早口は相手をイライラさせる。

ディベート好きな人なら早い方が興奮するかもしれないが、一般的にはゆっくり丁寧に教えて、と考えているからだ。

早いと、本当は理解させる気はないのではないか?と思うので、丁寧さが感じられないのだ。

また、話を聞く場が設けられているか、資料がちゃんとそろっているか、といったことも関係する。

つまり、丁寧な説明というのは、なにを伝えるか?ではない。

丁寧さは、スピードであり、相手に理解してもらおうというこちらの気持によってできる。

話して、相手が納得できるまでの間というか、時間の流し方も重要になる。

だれの意見か


また、最近、使われる言葉自体が変わってきた。

表現も変わったのではないか。

自分ありきの言葉を使う人が多くなった。

たとえば、主語が多すぎる人がいる。

「日本人は」「男は」「女は」と。

自分と言うより「だれかが」という言い方で話す人が結構いる。

特にネットを見ていると多いのだが、自分の主張を他人が言っているように話す。

「それは誰の話ですか?」と聞くと、困っている光景をみるのだ。

だいたいが、評論家ぶった言い方になって、自分が責められないように逃げる発言である。

また、その逆で、世間の意見を自分の意見にしてしまう人もいる。

世間でどう思っているか?

メディアなどで、なにを言われているか?といったことを、自分の考えがそうであったといってしまう人。

たとえば、テレビのインタビューで聞いたセリフを、自分の意見として語り出すのである。

こういった人には「自分はどう思っているか?」ということがないことが多く、世間の意見が自分の意見になってしまうのだ。

これは、ある面、企業にとってはやりやすい面がある。

社長の考えを自分の考えのように言ってくれるからである。

しかし、他人に左右されるので、筋を通して行動するのが難しい人でもある。

また、人は伝えるときに、同じ言葉を、何度も繰り返してくるときがある。

なぜそうなるのか、それなりの理由がある。

たとえば、相手がこちらの話を理解してくれていないと察したときや、単純にこちらの言いたいことが、まだ、いい足りないときである。

これらのコミュニケーションのクセのようなものを理解して対応することでコミュニケーションはよくなる。

さいごに、コミュニケーションのメリハリをつけることでのポイントいって終わりたい。

そのひとつがパンチライン(決めぜりふ)の必要性である。

たとえば、解決できない話があったときに、会議はずるずると長引くことになる。

時間も無駄だが、疲労度も高くなる。

そういった時に、「この話はここまで!」とか「まあ、何とかなるので、この先、様子をみよう」とかいって、話を中断するのである。

議論することは大切なので、議論は行い、全員が折り合いをつけて共通した認識になったのであれば、結論は出なくてもいいのである。

もうこれ以上の議論は意味がないと思ったときに、切るセリフのことをパンチラインというのである。

また、いまの社会で、言葉が通じるコミュニケーションポイントは2つある。

ひとつは「仲間感覚」であり、もうひとつが「仲間でないがプラットフォーム感覚」である。

具体的には、「仲間感覚」はフェイスブックの友達申請のようなものである。

あるグループをつくり情報をやりとりする。

まさに仲間感覚。仲間同士なので安全性もあるし、同じような種類の人だとやりやすい。

一方「プラットフォーム感覚」は、あるテーマを決めそこから広く情報発信するようなものである。

その場や、キチンとした手続きを踏むことで、そのテーマでの共有者を集め、理解を上げるものである。

この2つを使い分けることでコミュニケーションが生きるのである。


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